ヘビメタ騒音でやっぱりくるしい。どーしても、くるしいんだよな。どーーしても、くるしい。この雰囲気。ヘビメタの雰囲気しかない。
どーしても、くるしい。
ほかの人には、これがないわけだから、卑怯だ。まあ、俺の兄がへんなやつだったのが問題なんだけど……。しかし、どーーして、ぼくなんだ? どーーして、ぼくの身の上に起こった? なんで僕の兄は、きちがい的な自分勝手さを身につけているんだ? どーして、きちがい兄貴の非常識な欲望のせいで、ぼくが、傷つかなければならないんだ? おかしいだろ。きちがい兄貴やられてない人は、ぼくのことをせめる。『そんなのは、たいしたことじゃない』『鳴り終わったら関係がない』『お兄さんに言えばいい』『なんだろうが、すべては自己責任』……。くそやろうども。くそやろうども。自分がきちがい的な家族にやられてないからといって、自分がきちがい的な家族にやられたことがないからといって、好き勝手なことを言いやがって。どんだけ、ひどいことを言っているのかわかっているのか? わからないんだろうなぁ。だって、ヘビメタ騒音の毎日を経験してないから。あれは、ほんとうに、つもる。それだけ!になってしまう。どれだけあらがっても、きちがいヘビメタの影響から逃れることができないということになってしまう。それも、きちがいヘビメタが始まった日、以降の日は、すべて、影響をうけている。ものすごいレベルで影響をうけている。けど、普通の人は、そんな目にあったことがないから、根本的にわからない。自分の『騒音体験』をもとに、いろいろなことを言う。けど、その『騒音体験』自体が、ちがうのだ。彼らが経験した騒音と、ぼくが経験した……ぼくがこの世で経験した……『きちがい兄貴による騒音』はちがう。影響のでかさがちがう。けど、影響のでかさを無視してしまう。ぼくから、ヘビメタ騒音のことを聞いても、自分の『騒音経験』から、いろいろなことを推量してしまうので、まちがうのだ。本人が推量して作った『ヘビメタ騒音』のイメージと、ヘビメタ騒音のイメージはちがう……。そして、同じように本人が推量してつくった『ヘビメタ騒音の影響(のでかさ)』と『ヘビメタ騒音の影響(のでかさ)』とがちがう。しかし、『ちがう』とは思わない。そして、ちがっていたとしても、本人は痛くもかゆくもないので、ちがうということに関心がわかないのである。だから、俺がたとえ、そのことについて指摘ししたとしても『そんなのはどうでもいい』としか感じない。そういうレベルの考えしか浮かばないので、ほんとうに、どうでもいいこととして処理されてしまうのである。この場合、ヘビメタ騒音自体がどうでもいいことになる。だから、本人としては、どうでもいいヘビメタ騒音に、俺がこだわっているという考えを持ってしまうのだ。そして、それが合理的な考え家だと思い込んでしまうのだ。しかし、全部が全部、まちがっている。ヘビメタ騒音は、俺にとって!!!!どうでもいい騒音じゃない。ヘビメタ騒音の影響は、俺にとって!!どうでもいい、影響じゃない。いまですら、影響している。そして、ヘビメタ騒音の影響が、俺の人生すべてを不可避的に変えてしまった……時系列的につもってかえてしまったということは、俺にとって、どう考えても、どうでもいいことではないのである。いまの俺にとって影響力がないことではないのである。けど、やられていない本人は……俺のいま言ったことが、『非合理的なこと』だと思ってしまうのだ。どうしてかというと、そいつにとっては、『ヘビメタ騒音』や『ヘビメタ騒音の影響』はどうでもいいことだからだ。エイリさんが『どうでもいいことに』こだわっているということになってしまう……そいつの、悪い頭のなかではそうなってしまう。